物質世界という、こんな確かな現実にいながら、
その全てが、揺らいでいる。
美しい風景を大勢で見たとしよう。
どれだけの言葉を尽くしても、
誰かとまったく同じ感動を分け合うことはできない。
何に感動したかさえ、違っているはずだ。
そこで唯一揺らいでいないのは、「美しいと思った自分」だけである。
堅牢な建造物も、風化していく。
確かなのは、その時それを見た自分だ。
どんなに医療が発達しても、痛みという感覚を分け合うことはできない。
それを味わっているのは自分だけだ。
どんなに美味しい料理を食べたとしても、
味覚は人それぞれであり、
美味しいと思う人と、それほどでもないと思う人がいる。
唯一確かなものは、自分はどう思ったかだけだ。
いろんな常識がある。
でもそれだって、解釈により、その人の正しさにより、
まかり通ったり、そうでなかったりする。
常識といわれるものに、とらわれる必要はない。
自分はどう思うか、だけだ。
すべてが揺らぐ中、ただひとつ、揺らがないもの。
それは自分であるということだ。
すべて消し去っても、消せないものがひとつだけあることに気づく。
それは、それを見た「私」だけである。
それを真理というのだと思う。