とは すべてそれでいい ということ。
昔、魂に教えてもらったことです。

戦争も平和も、犯罪も、愛することも、愛さないことも、
批判したい気持ちも、かばいたい気持ちも。

なにもかも全て、

それでいい

ということ。

何も足さず、何も引かず、それでいい、ということ。
それが愛だと。

そして存在するということは、
存在するという時点で、
すでに大きな愛によってゆるされている、ということ。

存在するすべては「完璧なでこぼこ」だということ。

でこぼことは個性のことですね。
ひまわりはひまわりとして完璧で、スミレはスミレとして完璧。

「愛せない」「愛さなければ」と思っていた私は、こう言われました。

「あなたの小さな愛がなくても、その人は大きな愛によって許されている。
 だからあなたの愛がなくても全然だいじょうぶ。
 愛せないというあなたの気持ちも許されている。
 だからそれを否定する必要もない。
 もちろん、否定したかったら否定してもいい。それもOK。」

在っていいものしか存在することができない。
存在するということは、それだけで愛の結晶だということ。

ただただ、そう在る、ということ。

そして魂は、私にその存在を確認されなくても、
絶えずそこにあって、私のすべてを全肯定し、私を全力で愛する存在でした。

大好きな映画の主人公を愛するように。

この話、ことあるごとに書いてるけど。

誰もが、実はめっちゃ全肯定されめっちゃ愛されている。
誰もが、アイドル顔負けの大ファンがついてる。
「大好きすぎてツライ」らしいよ。

覚醒するってことは、魂意識と統合するってことで、
要するに、

自分大好き相思相愛この世はバラ色ランデブー。

あ、自分ってのは、この肉体の自分だけでなく、現実の世界そのものね。

投稿者

キシダサトコ

1965年生まれ/愛知県/イラストレーター・a-souka運営者
いろんなところでヲタク気質が表出する。意識が拡大した折にはここぞとばかりに現実化の仕組みをダウンロードしたが、スーパーで舞茸の価格に葛藤が見えて衝撃を受けた。その衝撃の葛藤のお値段は30円。やっす。