意識が拡大するというのはどういうことか?
すごく簡単にいうと、気が大きくなるということ。

拡大があれば縮小もある。気は小さくもなる。

気が大きくなるとなんでもできる気がする。普段は気が小さい人でも。やってみればできるんじゃないか、そんな気がする。自分は本当はすごいんじゃないか。あんなことやこんなことも不可能ではない気がする。これを最近では厨二病と言ったりもする。気分は高揚し、いろんなことに挑戦したくなり、できないことよりできることにベクトルが向く。

逆に気が小さくなると何もできない気がする。普段気が大きい人でも。いろんなことに恐れを感じ、自分は本当はたいした人間ではなく、何もできない小さな人間だと思う。このとき意識のベクトルはできないという方向にフォーカスする。

要するに意識というのは、大きくなると無敵な感じがして、小さくなるとどんどん萎縮する。この感覚はどんな人でもご理解いただけると思う。そしてそんな経験は誰にでもあると思う。

世で大成する人というのは、要は気が大きい。この気の大きさを維持できると、できるという方向にベクトルが向かうので、失敗を恐れず糧にして、トライアンドエラーでどんどん邁進していく。そこには自分を信じるという意識の働きがある。自信とはイコール自分を信じるということ。そして気の大きい状態だと、自己主張がはっきりとして他人の言うことに左右されにくい。視野も広く信念のベクトルも自分を中心としたものになる。

一方で気が小さい人はこの逆を行く。視野も狭く信念のベクトルは世間や周りの人間など自分ではない外に向かう。自分の意志より外に重点を置いたものが多い。

ここで気をつけたいのは、どっちがいい悪いということではないということだ。人は意識の大きさによってそこで感じる感情というものがあり、その体験は優劣のつくものではない。

さて、では気が大きくなって、その時は自信に満ちてなんでもできると思うのに、ブレーキがかかることがよくある。お酒を飲んでいい気分になって大風呂敷を広げて、翌日落ち込むケースだ。ここには意識のメカニズムが大きく作用する。

ブレーキの正体は何か?
そのときの意識の状態はどんなものか?

ここでは自己防衛本能でもあるサバイバル意識が大きく作用する。サバイバル意識の詳細はまた別記するとして、ここではブレーキがかかるときの動きをみてみよう。

まず、変化を恐れるという大きな特徴がある。サバイバル意識は読んで字のごとく生き残ることを第一のモットーにしている。状態がどうであれ、今生き残っているというところに絶対の信頼を置いているサバイバル意識にとって、変化は死の可能性を高めるものとして扱われ、変化に対しては警戒警報を発して断固阻止しようとする。これには「自分を守るため」という大義名分がある。

気が大きくなる

このとき意識がどの程度拡大状態なのかによってサバイバル意識の対応もグラデーション的に変わってくる。例えば酔っていて気が緩んで安心感に包まれている状態だとサバイバル意識は手を出しにくい。逆に平常の意識状態よりやや大きいくらいだとブレーキがかかりながら発言したり思ったりする。

変化を阻止!

拡大状態によりブレーキのかかり具合も変化する。大きければ大きいほど急ブレーキとなり、どーーーんと落ち込む。これを「我に返る」とか「現実を見る」とか言ったりする。付随する意識として自己嫌悪・反省・自己否定などがあり、それらはサバイバル意識から繰り出される警告だ。

サバイバル意識にとって通常ではない意識状態は命の危険を感じるほどの危険地帯で、元の状態に帰ろうとする。そこでは命の危険がないと経験則で知っているからだ。

元の状態に戻ろうとするだけなので、通常の意識状態が小さければ小さい方へ、大きければ大きい方へと、とにかくデフォルト状態に戻って安心を得ようとする。誰でも慣れた場所はなにかしら安心するものだ。

意識のサイズは変えることもできるし、変えても変えなくてもいい。もし、もう少し楽な人生にしたいと思ったら、自分の意識と向き合ってみるのも手だ。意識というのはある程度拡大すると神秘体験を伴う。それがまたおもしろい。

投稿者

キシダサトコ

1965年生まれ/愛知県/イラストレーター・a-souka運営者
いろんなところでヲタク気質が表出する。意識が拡大した折にはここぞとばかりに現実化の仕組みをダウンロードしたが、スーパーで舞茸の価格に葛藤が見えて衝撃を受けた。その衝撃の葛藤のお値段は30円。やっす。